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2021年5月1日 小豆島そうめんの歴史をたどる➂

「小豆島の素麺は、昔は島内で栽培した小麦を、島内で製粉してつくっていた。」

その名残を探して歩きます。

 

水車については、事前に調べたところ、6年ほど前に、同じように水車を探した方のブログがありました。

音楽水車プロジェクト (musicmill.jp)

テナーサックス奏者の岡淳(おかまこと)さんのページです。「私の父方の祖父の実家は小豆島の中山という地域で水車を営んでいました」と書かれており、ご自身のルーツを探す旅として小豆島を訪れたそうです。

 

おかげさまで、だいたいの位置は分かっていたのですが、それでもなかなか見つかりません。

歩いていた地元の方に尋ねてみても、水車は残っていないとのこと。

あきらめずに探索2日目。

車道から川の方向に下る脇道を下った先に、ようやく見つけました!

ブログの写真にもあった「ぬしゃ水車」(資料では「ぬしや」と記載)で間違いありません。

(土地の所有者のご親族の方に、撮影許可をいただきました。)

目の前に現れた水車は、想像よりも大きく、全体が深く錆びてはいるものの、

水車の形をほぼとどめていました。

資料によると、明治40年製の水車で、製粉した小麦粉は素麺の製造に使用されていたそうです。

おそらく、この水車のそばに水車小屋があったはずで、その中で石臼挽きの小麦粉がつくられていたのだと思われます。

金属製の軸もそのまま残っており、整備すれば回りそうなぐらい。

 

この水車が目の前で動いていれば、どんな動きをするのか、どんな音がするのか、どうやって石臼に動力を伝えるのか、水車小屋はどんな設備が必要なのか、石臼はどんなスピードで回るのか、石臼挽きの小麦粉は美味しいのか…

 

想像がどんどん膨らみます😄

 

雨風に晒されながらも、今でもこの形を見ることができるのは奇跡的かもしれません。

 

 

たとえ実用的なものでなくなったとしても、これだけはっきりと歴史を物語れるものがあまり知られていないのはもったいないです。

このままではいつか朽ちてなくなってしまうでしょう。

「もし、この水車を再び動かすことができたなら…」

単に素麺のルーツ、歴史あるものを守り伝えるだけでなく、

目の前で動く水車を見て、聞いて得られる何かがあるのではないか。

石臼で挽いた小麦粉でつくった素麺はどんな味がするのだろうか。

(実際に石臼挽きには、石臼ならではのメリットがあるそうです。)

 

素麺の歴史に触れたくてスタートした探索でしたが、

これで終わりにするのではなく、もっともっと深堀りしてみます。

まだ具体的な計画があるわけではないですが、

「水車のある素麺屋」もおもしろそう!

まずはそんな妄想から…