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2023年2月10日 【Vol.7】めんつゆの歴史と地域性について

 

 

【お!いしい けんぶんろく】 Vol.7

めんつゆの歴史と地域性について

 

 

 

 

めんつゆは、醤油と砂糖やみりんなどを煮て作る「かえし」に、だしを合わせた混合調味料です。

素麺やそば、うどんなどの麺料理だけでなく、家庭料理の味付けにも広く使われており、いまや購入金額は醤油を上回っています。

今回は、素麺と相性の良いめんつゆの歴史や地域性についてご紹介します。

 

三代目:ブログのネタとして、「めんつゆ」って切口が新しいのではと考え、歴史などを少し調べてみました。

素麺にとって「めんつゆ」は切っても切れない大切なもののひとつだと思います。

どんなに美味しい素麺も、めんつゆが美味しくなければ台無しになってしまいますし。とても大切ですよね

美味しい素麺と自信があるからこそ、美味しいめんつゆについても考えてみたいと思いました。

 

 

【目次】

① 醬油の歴史と三大産地

② めんつゆの起源は室町時代

③ 地域による味の違い<醬油>

④ 地域による味の違い<だし>

⑤ 《産地紹介》岡山県・備中(びっちゅう)素麺

⑥ 《美味しい素麺》手延べ半生うどん 編

 

 


 

① 醬油の歴史と三大産地

 

めんつゆの主な材料である醬油は、大豆と小麦、塩を発酵熟成させたものです。

まずはその醤油について深掘りしてみます。

 

そのルーツは、紀元前700年頃の中国の古文書「周礼(しゅうらい)」に記述のある「醤(ひしお)」と言われています。

「醤」とは当時の塩蔵品の総称だったようです。

原料別に「草醤(くさびしお)」「肉醤(ししびしお)」「穀醤(こくびしお)」の3種類に分けられ、「草醤」は漬物、「肉醤」は塩辛類で、「穀醤」が現在の醤油や味噌の原型と考えられています。

日本では飛鳥時代のものと思われる木簡に、「醤」の文字が見られます。

大宝律令によると、宮廷の料理を司る「大膳職(だいぜんしき)」に属する「醤院(ひしおつかさ)」で、大豆を原料とする醤が作られていたとされています。

奈良時代から平安時代の宮中宴会では、膳の上に「四種器(よぐさもの)」という4種類の調味料「塩・酒・酢・醤」が乗っていたという記録があり、醤の形状が固形から液状へと変化したのもこの頃のようです。

 

大豆が日本で広く生産されるようになってきた鎌倉時代には、醤の一つである味噌の製造過程において、味噌桶の底に溜まった液体を「溜(たまり)」として利用していたそうです。

これが醤油の原型とされています。

室町時代の中頃には、現在の醬油に近いものが作られるようになりました。

1597(慶長2)年の日常用語辞典である「易林本節用集(えきりんぼんせつようしゅう)」に、「醤油」の文字が登場しています。

室町時代の末頃から、関西を中心に醤油の醸造が盛んになりました。

江戸時代の中期には、大阪・堺、和歌山・湯浅、兵庫・龍野などの産地で醬油の量産化がすすみ、製法が進化して品質も向上したと言われ、醬油が庶民にも広く普及した時期であったようです。

江戸幕府が開かれたことに伴い、経済や文化も江戸を中心として発展していきます。

江戸初期には、関西で生産された味や品質の良い「下り(くだり)醤油」が大量に江戸へ送られたという記録が残っています。

江戸時代中期になると関東でも様々な産業が栄え、今の千葉県の銚子や野田が醤油の一大産地となり、江戸の人々の嗜好に合わせた「濃口醬油」が、関東で普及したようです。

 

現在、醤油の代表的な産地として知られているのが、千葉県・兵庫県・香川県です。

千葉県の銚子と野田は、江戸川と利根川の水運を利用し、原料の入手や消費地への運搬にも都合がよく、醤油の産地として発展しました。

千葉県の醬油の生産量は、日本全体の3分の1を占めています。千葉で作られる醬油の多くは、濃口醬油です。

日本の醤油生産量の約15%を占める兵庫県。

その西部に位置する龍野市は、淡口醬油の一大産地です。

播磨平野の豊かな小麦、山間部でとれる良質の大豆、赤穂の塩、清らかで鉄分の少ない川の水が、淡口醤油作りに適しているとのことです。

香川県の小豆島では、木桶仕込みで醬油が作られてきました。

海に囲まれておりもともと製塩業が盛んでしたが、瀬戸内の各地で塩が生産されたため、過剰となってしまった塩を原料として活かせる醤油作りが始められたとされています。

温暖な気候が醤油作りに不可欠な麹の発酵に適していること、天下の台所である大阪に近いこと、原料の運送にも便利な立地であることなどから、醬油の産地として発展を遂げたと考えられています。

 

 

<参考サイト>

・しょうゆの歴史を紐解く

https://www.kikkoman.co.jp/soyworld/subete/history.html

・しょうゆを知る 歴史

https://www.soysauce.or.jp/knowledge/history

・日本食文化の醬油を知る

http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/mame01-a.html

・【醤油】歴史と日本の三大名産地の特徴を知ろう!

https://thegate12.com/jp/article/172#content-2

 

 


 

② めんつゆの起源は室町時代

 

醬油を使ったかえしができる以前の室町時代頃は、うどんを「たれみそ」と呼ばれるものにつけて食べていたそうです。

みそに水を加えて煮つめ、布袋に入れて吊るして漉したもので、これがめんつゆの原型と考えられています

江戸時代初期、そばが食品として普及しました。

当初はたれみそにつけて食べていましたが、作るのに手間がかかる、絞りかすが出るなどの点から、醤油ベースのそばつゆができたようです。

1751年(寛延4年)の「蕎麦全書」という書物には、たれみそを使ったつゆと醤油を使ったつゆの2種類の作り方が記述されています。

江戸時代後期には、醤油にみりんやだしを合わせたものが流通するようになりました。

明治時代になると甘味の強いつゆが好まれるようになり、砂糖を加えたものが主流となりました。

女性や子供もそばを食べるようになり、その嗜好に合わせたからと考えられています。

 

商品としてのめんつゆは、1952年に中京の食品メーカーが販売したものが最初と言われています。

1997年制定のJAS規格では、めん類等用つゆは「しょうゆに糖類及び風味原料(かつおぶし、こんぶ、乾しいたけ等)から抽出しただしを加えたもの又はこれにみりん、食塩その他の調味料を加えたもの」と定義されています。

1980年代以降、日本人1人当たりの醤油の消費量は減少傾向にありますが、めんつゆは需要が高まり消費量が伸び、1994年にはつゆ・たれ類の世帯当たりの年間支出金額が醬油を上回り、2012年にはその差が2倍以上に拡大しています。

 

三代目:めんつゆって、比較的新しい物と思い込んでいましたが、歴史のある食べ物だったんですね。

そう考えると、めんつゆにつけて食べる今のスタイルは、実はもう何百年も続いているということなんですよね。

小豆島出身なのでお醤油にはこだわりがありましたが、これからはめんつゆにももっと想いを巡らせて、手延べ麺の食べ方や味わい方も研究していきたいですね。

 

 

<参考サイト>

・めんつゆについて

https://food-drink.pintoru.com/mentsuyu/about-mentsuyu/

・めんつゆの躍進

https://www.foodwatch.jp/daizu039

・ウィキペディア「めんつゆ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A4%E3%82%86

 

 


 

③ 地域による味の違い<醬油>

 

めんつゆの味を決める2大要素、醬油とだし。それぞれ地域ごとに、好まれる味や素材が異なるようです。

醬油は、その製造方法から3つに分けることができます。

<本醸造方式>

大豆と小麦を、麹菌や酵母、乳酸菌など微生物の力により時間をかけて発酵熟成させる、昔ながらの醸造法。深い旨みと、芳醇な香りが特徴。生産量全体の約9割を占めています。

<混合醸造方式>

本醸造方式でできたもろみにアミノ酸液(大豆などに酸を加え加水分解して作ったもの)などを加えて発酵熟成させる製法。

<混合方式>

本醸造形式で作った生揚げ醬油にアミノ酸液などを混ぜる製法。そこから砂糖類や甘味料などを加えて旨みとのバランスを調整するなどアレンジされることもあります。

 

これらを踏まえ、地域ごとに好まれる醬油の傾向を見ていきます。

<北海道>

本醸造方式の濃口醬油に加え、共働きで農地開拓していたことから手軽に調理できる濃縮つゆが広く普及。特産品である昆布のだしを使った昆布醬油も多く使われます。

<東北>

甘口の本醸造醬油や、やや甘めの混合醬油が沿岸部を中心に好まれます。濃縮つゆやだし醬油が、醤油代わりに日常的に使われているようです。

秋田では、ハタハタやイワシを使った「しょっつる」という魚醬が作られます。

<関東>

本醸造の濃口醬油がほとんど。海に面した江戸で、魚の臭みを和らげる濃口醬油が広まったとされます。甘味料を添加せず、すっきりした味わいが特徴。

<北陸>

甘口の本醸造醬油や甘い混合方式の濃口醬油が主に使われています。北洋漁業の漁師の嗜好に影響を受けたという説も。石川では、イカの内臓やイワシを使った「いしる」という魚醬が作られます。

<中部>

本醸造方式の濃口醬油が多く使われます。

また愛知・岐阜・三重を中心とした地方では、豆味噌の製造過程で生まれた色の濃い「たまり醬油」と、小麦が主原料の色の淡い「しろ醬油」も作られています。

<近畿>

本醸造方式の濃口醬油と淡口醬油を、料理により使い分けます。淡口醬油は江戸時代に兵庫県龍野で生まれたとされます。

<中国>

九州北部の甘い醬油が入ってきたことにより、やや甘い混合醬油が多く使われます。瀬戸内に比べ、日本海に面した萩地方の醬油はより甘いと言われています。

地元産の牡蠣エキスを使った牡蠣醬油などの加工品も作っています。

<四国>

地域により特徴が分かれます。

高知や愛媛は九州の影響を受けて、甘味の強い混合醬油が好まれます。

江戸時代から醬油の産地として知られる香川県小豆島では、関東同様、甘味料を使用しない本醸造の濃口醬油が使われます。

讃岐うどんのつゆには、混合の淡口醬油が使われています。

また香川ではいかなごを使った「いかなごしょうゆ」も作られていました。

<九州・沖縄>

混合方式の濃口醬油と淡口醬油を料理により使い分けます。九州南部では強い甘味のある醬油が好まれる傾向にあります。

沖縄は、東京からの物資調達が多かった背景もあり、濃口醬油が多く使われます。

 

 

<参考サイト>

・関東は濃いめ、関西は淡め、九州は甘め…ではほかの地域は?日本各地で違う「しょうゆ文化」の謎に迫る

https://news.yahoo.co.jp/articles/9618729e58a029b78d8e1bd63c1a0e6e39b5b1b8

・しょうゆのすべて

https://www.kikkoman.co.jp/soyworld/subete/index.html

・「調味料」地域性 醬油編

https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/activity/shokuiku/library/japanesefood/03_03.html

・しょうゆと郷土料理

https://www.kikkoman.co.jp/pdf/no26_j_008_025.pdf

 

 


 

④ 地域による味の違い<だし>

 

だしの味が関東と関西で異なることは、よく知られていると思います。

関東では主にかつお節が、関西では昆布が多く使われます。

この違いの理由については、2つの説があるようです。

1つは、昆布の流通。

室町時代、北海道でとれる昆布が船で京都まで運ばれる、通称「昆布ロード」が確立しました。

江戸時代には北前船で酒田から下関を通り、大阪を経由して江戸へ向かう西廻り航路が開かれました。

関西では京都の公家文化の影響で、上質な昆布のだしを使って素材の味を引き出す京料理が誕生。

天下の台所と呼ばれ、比較的裕福な商人の町であった大阪でも、昆布だしが広まったようです。

江戸まで運ばれた昆布は関西で売れ残ったものだったので、関東には昆布だしが根付かなかった、という説です。

当時の関東では肉体労働者が多かったことから、味付けの濃いものが好まれ、濃厚なかつおだしやそれに合う濃口醬油が発展していったと考えられています。

 

もう1つの説は、水質の影響です。

関西の水は硬度が低く、昆布だしを引き出すのに適しており、関東の水は関西に比べ硬度が高いので昆布だしが出にくいと言われています。

そこで濃いだしをとるために、関東ではかつお節が多く使われるようになったという説です。

 

関東と関西だけでなく日本の各地域で、それぞれの特産品などの影響により、だしの種類は異なります。地域ごとによく使われるだしの種類を見ていきます。

<北海道>

かつお節昆布など。

くせのないさっぱりとしただしが好まれます。

<東北>

煮干し中心さば節など。

魚の香りがしっかりとした、濃いだしが好まれます。

<関東>

かつお節さば節など。

関東では江戸時代の中期頃から、カビつけした枯節が好まれるようになりました。甘味があり、上品な香りが特徴で、まろやかな味わいです。

<北陸>

昆布かつお節など。昆布の加工品も多く使われます。甘めのだしが好まれます。

<中部>

さば節むろあじ節など。味も香りも強めの濃い出汁が好まれます。

<関西>

昆布かつお節さば節煮干しなど。

関西では、カビつけをしないかつおの荒節が好まれました。昆布をメインに、煮干しやかつおなどを合わせただしが特徴。澄んだ黄金色の上品なだしを、薄口醤油に合わせます。

<中国>

煮干し焼きアゴかつお節など。

パンチのきいた濃い煮干しのだしが好まれます。

<四国・九州>

煮干し焼きアゴなど。

黒潮に乗ってイワシがたくさん獲れたことから、高級品だったかつお節や昆布の代用品として手に入りやすい煮干しが使われ、その文化が根付いたと考えられています。

<沖縄>

かつお節豚骨

沖縄はかつお節の消費量が全国1位です。中国に輸出する際の中継港であったことや、太平洋戦争時に水産業を積極的に行っていたことが理由ではないかと考えられています。

 

三代目:お醤油の違いはそれなりに分かっているつもりでしたが(今回調べて、結構知らないことが多かったですが)、だしにもこんなに違いがあるのに驚きでした。

醤油×だしの種類でめんつゆの味わいが変わるとすると、その組合せはとっても多いものになりますよね。

さらにだしを重ね合わせたりすると…そう考えると、めんつゆひとつとっても楽しみが大きくひろがりますね。

 

 

<参考サイト>

・「だし」の誕生と発達

https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/17/2.html

・地域ごとで全く違う!?日本各地の出汁文化!

https://gyoumuyo-dashi.com/2020/03/20/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%A7%E5%85%A8%E3%81%8F%E9%81%95%E3%81%86%EF%BC%81%EF%BC%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%90%84%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%B1%81%E6%96%87%E5%8C%96%EF%BC%81/

・だしの話

https://shop.ninben.co.jp/blog/?cat=20

・だしを知る

https://www.e-bonito.com/know/

・「だし」の地域性 節類・煮干編

https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/activity/shokuiku/library/japanesefood/03_01.html

・「だし」地域性 昆布編

https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/activity/shokuiku/library/japanesefood/03_02.html

 

 


 

⑤ 《産地紹介》岡山県・備中(びっちゅう)素麺

 

今回は、手延べ麺を製造する7産地目をご紹介します。

備中手延べ素麺は、昔の備中国にあたる岡山県浅口市鴨方町とその周辺の里庄町・矢掛町・笠岡市などで作られる手延べ素麺で「備中素麺」と呼ばれ、地元でもとても人気が高いそうです。その生産の中心となる地名からか「鴨方素麺」とも呼ばれていたり、商標名では「かも川」の名称が有名なんだそうです。

この地域では素麺を一年中常備している家庭が多く、冷やして食べるだけでなく温かいにゅうめんも日常的に食べられており、みそ汁に入れたり、赤ちゃんの離乳食にする家庭もあるそうです。

弾力があり煮崩れしにくいコシの強さと、なめらかなのど越し、歯切れの良さが特長だとか。

 

備中での麺づくりの歴史は大変古く、吉備国に「麦切(むぎきり)」という記述が古書に残っているそうです。朝廷に献上されたという記述が残っているそうです。少なくとも9世紀頃には吉備地方でうどんやそうめんの原型のようなものが作られていたと考えれています。

 

香川をはじめ、岡山、兵庫(播磨)は古くから小麦の産地で、後にその品質の高さから「三県物」と呼ばれるようにまでなった歴史があります。

備中素麺は、杉谷川の清流と、備中の大動脈とも言われる高梁川流域で栽培された小麦、瀬戸内海沿岸で作られる塩といった良質な素材が入手しやすい土地柄と晴天の多い気候からか、素麺作りが盛んになっていったと伝えれています。さらに、杉谷川には多くの水車が設置され、製粉から製麺まで一体化した素麺作りを行っていたようです。

 

江戸時代後期の文政年間に浅口郡口林村の原田敬助という人が、伊勢参りの道中、播州で素麺を食べたことをきっかけに、製麺職人を播州から村に移住させたとされています。

最初は小坂東村(現・浅口市鴨方町小坂東)の杉谷川流域に技術者が住み、そこから地元住民に製麺技術が伝わったと伝えられているので、「麦切」に見られるような小麦の加工品づくりとしての土壌は古くからあったことから、地元でも定着は早く人気が出たのかも知れませんね。

 

明治になると農家の副業にとどまらず、製麺を専業とする業者が多数生まれ、明治32年(1899年)には組合が結成されたそうです。

昭和初期にはいち早く工業化に着手し、手延べ用のこね機やイタギ機を開発。

手延べ作業の効率を上げることにより、大量生産と品質の安定化に成功したとされています。

最盛期には播磨に次いで生産量全国2位となり、約200の業者で年間約10万〜12万箱を製造していたそうです。

農林水産省の統計(平成21年)によると、手延べ素麺の都道府県別生産量において、岡山県は第6位となっています。

 

三代目:岡山県の備中素麺の名前は知っていましたが、歴史などは全く知りませんでした。小豆島での素麺づくりと共通項も多く、とても興味が湧いています。

このブログを書くたびに行ってみたい産地が増えて大変です(汗)。

まだまだブログを書いているだけなので、実際に産地や工場を見学させていただき、勉強していきたいと思います。

また、様々な産地で私のような後継者がいらっしゃれば、ぜひお目に掛かってお話を伺ってみたいと考えています。

 

<参考サイト>

・【備中手延べ麺】そうめん・うどん・ひやむぎまで。江戸時代からの名産品

https://fuuraiki.com/bitchuu-tenobemen/

・備中手延べそうめん

http://soumen-guide.net/archives/115

・乾めん類の都道府県別生産量

https://www.shimabara-soumen.com/article/14800426.html

 

 


 

⑥ 《美味しい素麺》手延べ半生うどん 編

 

小豆島には21の醤油蔵があり、独自の醤油やめんつゆを作っておられます。

すごいのは、各蔵によってそれぞれ味が異なるということ。ですから、島の方たちにも一人ひとりの“推しめんつゆ”があります。

島に来られた際には、ぜひ醤油やめんつゆなどの味の違いを楽しんでくださいね。

 

さて、今回はめんつゆのお話を書いたので、1つのめんつゆで二度美味しい「手延べ半生うどん」の食べ方をご紹介します。

 

たっぷりの水を鍋に入れ沸騰させます。

半生うどんは少し茹で時間が長いですが、焦らずじっくり茹でてください。

パッケージに記載の通りに茹で、冷たい水でサッとゆすげば麺が引き締まり、もちもちでシコシコな独特の食感を味わっていただけます。

そして、ネギやおろし生姜などの薬味を入れたお好みのめんつゆに、麺をひたして食べれば冷やしうどん(ざるうどん)として召し上がっていただけます。

器やタライなどにお湯を張って、その中に浸し麺が冷めないようにしながら、“釜揚げうどん”としてめんつゆにつけながら食べるのも、寒い日にはおすすめです。

 

もう1つの食べ方は、同じように麺を茹で冷たい水でサッとゆすぎ、しっかりと麺の水を切って薬味と一緒に器へ盛り付けておきます。

それと同時にめんつゆを火に掛け沸騰させ、器に盛ったうどんの上にバサッと掛ければ“冷やあつぶっかけうどん”のできあがりです。

お好みで温玉などを盛り付ければ“釜玉うどん”に。

めんつゆは熱々でも、麺は冷たく引き締まっているのでそのギャップが美味しいですよ。冬でもおすすめの召し上がり方です。

 

めんつゆ自体にも色々と味わいがありますが、冷たくしたり温めたり、さらに、麺を冷やしたり温かくしたり。

その組合せで色々と味わいが変わって、美味しく召し上がっていただけます。

 

石井製麺所の「手延べ半生うどん」は、冬季限定商品となっていますので、ぜひこの機会に色々と食べ方をお楽しみください。

 

 

《石井製麺所オンラインショップ》 https://141seimen.thebase.in/

 

《手延べ半生うどん》 https://141seimen.thebase.in/items/29007530

 

 

 

 

 

三代目:次回のブログは2/27ごろ、アップしたいと思います。

 

『お!いしい けんぶんろく』について

本ブログでは、色々な産地を調べたり、食べ方を探求したり、将来的には実際に産地に行って交流を深めたり…そんなことができれば良いなと考えています。まずは勉強からと言うことで、小豆島もそのひとつですが、日本の素麺や麺類について調べながら、様々な素麺の情報を発信できれば良いなと考えています。もし、間違いなどあれば、ご指摘ください。たくさんの方の“素麺のデータベース”になればと考えています。

色々な情報を紐解きながら…なので、間違いや勘違い、伝承だと色々な解釈があったりすると思いますので、優しい気持ちで見守っていただき、一緒に学べる場にできれば幸いです。